『 追 憶 』 (2)
彼が居なくなって数ヵ月後、私は相変わらず泣く事ができなかった。
そしてこの時ようやく気が付いたのだが、うまく笑う事ができなくなっていた。
そしてある日、街中で偶然あの男・・・巌徒海慈に出会ったのだ。
偶然だったのか、それとも必然だったのか、それは今でも分からない。
ただ、少し離れた人ごみの中の巌徒と目が合った、と思う。
あの時の瞳の印象、そのもので。
巌徒は私に近づくと優しく話しかける。
「・・・やあさん、久しぶりだね。」
その時私は死にそうな顔でもしていたのだろうか。
巌徒は挨拶を終えると私を食事に誘った。
正直、彼を失ってから余暇は嫌な時間で余計な事を考える。
私は巌徒の提案に何の疑問も抱く事無く食事に行く事にした。
いつの間にか時刻はもう遅く、夕食時だったようだ。
案内されたレストランはこぢんまりとした場所であったが、人が途切れる事無く席が空く、という事はなかった。
巌徒はその店では常連らしく、すんなりと個室に案内された。
中に入ると暖かなランプが心地よい。
テーブルに着くと、正面に巌徒の笑顔がある。
部屋の暖かなランプの様に、この人の笑顔は気持ちが良い。そんな事を考えていた。
「この間、直斗君の家に行って来たんだけど、彼の両親も君の事を心配していたよ。」
ああ、それで・・・。
私はそう思いながら、彼と付き合っている頃好意的にいつも接してくれた彼の両親の顔を思い出した。
「・・・何時までもいなくなった息子の事を想って悲しむのは私達だけで良いと言っていたよ。」
そこで巌徒は辛そうな顔をしたのを今でも覚えている。
それが何を意味するものだったのか、その時は分からなかった。
それ以降は、差し障りのない話で食事を終えた。
帰り際、私は家が近くだから歩いて帰ると言うと、巌徒は家まで送ると言い出した。
そんなに元から親しくないのにと私は少し驚いた。
しかし、見た目からして彼は女性に対してそれが当たり前なのだろうと解釈して素直に送ってもらう事にした。
人気の無い道を入ると、周りが闇だという事も手伝って、静寂が煩く感じる。
その中で二人の足音だけが響いていた。
しばらくして巌徒は口を開く。
「君は、ちゃんと泣けているかい?前に君に会った時のあの乾いた印象が変わらない。」
私は首を振った。
「・・・時には落ち込んでみるのもいいものだよ。」
巌徒は静かに、優しく囁いた。
最初、何を言っているのか分からなかったが、どうやら彼は私を心配しているのだと気が付いた。
その言葉にようやく、自分が彼が居なくなってから感情の起伏が無くなっている事に気が付く。
そしてただ、いつも胸だけが苦しく倒れそうな事に。
そしてその事に気が付いた瞬間、苦しかった胸がより痛みを増しているような気がして、その場に立ち止まってしまった。
自分の目から一筋の涙・・・。
もうその後は感情の流れを止める事ができなかった。
「・・・だって・・・!いくら涙を流したとしても、直斗は戻ってこない・・・!!」
今まで涙をどこに溜めていたんだろうと思うぐらいに、私の目には涙が溢れ出して止まらない。
「何でっ・・・!何で直斗が殺されなければならないの・・・!!」
一瞬、涙で滲んだ視界が揺れると、次に気が付いた時には彼の腕の中に居た。
あの暖かさと安心感は今でも覚えている。
そして、巌徒はそのまま私の涙が収まるまで待っていてくれた。
「・・・君を責めている訳じゃないんだよ。」
「僕は・・・・・・・・・・・・ろう?」
「・・・え?」
よく聞き取れなくて、巌徒の言葉を聞き直そうとするが、もう一度その言葉を言う事は無かった。
ただ、私をさらに強い力で抱き締めた。
それから巌徒と私は深い関係になるのに時間はかからなかった。
局の方では噂を聞きつけた者が色々影で言っていた様だが、巌徒は気にする様子はない。
私の心も同じ様な戸惑いはあったが、早く忘れたい気持ちもあった。
私は、巌徒のおかげで涙を流す事ができた。
そして、直斗の事を落ち着いて考えられる時間をくれた。
そして、巌徒を愛するようになるには二年という月日は十分だったのだ。