『 百 年 の 孤 独 』








「お久しぶりです。」


はそう言うと豊かな白い髭を蓄えた男の隣に座った。
同じ白い髭を蓄えている所は巌徒と同じであったが、彼と違ってそこに座る男の雰囲気は至極優しい印象だ。
その男至極優しい男は、の傍らにいつも居る筈の男が居ないことに気が付いた。


さん久しぶりですな。・・・巌徒さんはどうしたんですか?」


地方裁判所の裁判長であるチョーさん(相変わらず名前分からず。)はの回りをワザとらしくキョロキョロと見ながら言った。
今日は3人が初めて会った店で飲み明かそうと言い出したのは巌徒本人でもあった筈なのに。


「・・・巌徒さん、急に事件が起きたそうで来れるか来れないか分からないんだそうです。」


そう言うと、一瞬寂しそうな顔をしては笑った。
こういう事はよくある事なのだろう。


「じゃあ、今日はさんを独り占めできるという訳ですな。トコトン付き合ってもらいますぞ。」


もちろん変な意味ではなく、ほんの少し表情を翳らせるを元気付けようと、ほんの少しおどけて見せながらお酒のメニューを差し出すのだった。


「じゃあ、今日は飲んじゃおうかな!」


折角なので、チョーさんの煽りに乗る事にした。
軽く腕を捲くる仕草をしながら、渡されたメニューを食い入るように見つめる
隣では元気を出したを裁判長は嬉しそうに見つめていた。

普段あまりお酒を飲まないだったが、とりあえず最初はチューハイを頼んだ。






「カンパ〜イ!」


少し大きめのグラスと、お猪口が当たり甲高い音を響かせていた。
それぞれ手に持たれていた物を口に運ぶ。

はチューハイ、チョーさんは日本酒、お互いにそのギャップに少々笑いを堪えながらの乾杯であった。


さん、チューハイなんて殆どジュースではないですかな?」


「そんな事ないですよ、日本酒の方がお酒っぽくて。」


・・・当たり前なのだが、そんな他愛もない話で盛り上がる二人であった。






子一時間経っただろうか?

二人もほど良い感じに良いも周り、微妙に愚痴モードに入るチョーさん。
しかし今夜はも負けられないと一緒になって愚痴モードになりそうな勢いだった。


「いや・・・まさかあなたと巌徒さんがお付き合いするとはねえ・・・。」


「そう!私も思います!・・・でも・・・好きになっちゃったものは仕方がないですよ〜。」


ほんのり人格が変わったはケタケタと笑いながら喋る。


「さて、次は何を飲まれますかな?お嬢様。」


裁判長はそんなに乗るように、ニコニコと更にお酒を勧めた。
ここまで来るのにはチューハイからカクテル、更にはチョーさんの日本酒まで飲んでいたのだ。

はあまり『飲まない』とは言ったが、決して酒に『弱い』とは言っていない。

次は何にしようかと、メニューを見つめるは焼酎の欄にある名前を見つけた。


「・・・百年の・・・孤独?」


初めて見た名前に興味を惹かれつつ、はポツリと呟いた。
テンションが変わったに気が付いたチョーさんはが見ているメニューを覗き込むと、の指が指されている場所を見た。


「ああ、『百年の孤独』ですか。希少価値の付いた有名な焼酎ですな。」


「私、初めて聞きました。凄く文学的な名前ですね。・・・値段も違いますし。」


自分の指した指を下に滑らせると、そこには横に並ぶ値段よりも高めの値段が書かれていた。


「その名前は元々小説から取られたものだから、文学的な香りがするのも分かりますな。」


チョーさんは酔っているのも手伝って、その酒のウンチクを語りだした。

そのお酒は老舗の名店で造られる本格麦焼酎で、厳選された素材と手造りの麹を原料とされ、長い間熟成されて完成するものなのだそうだ。
その工程ゆえ生産量は少なく、そしてそれ故値段もプレミアが付いているのだと言う。

そんな感じの話をは理解するので精一杯で、自分がお酒を頼もうとしていた事など忘れていた。
とにかく凄い焼酎なのだと納得した所で、チョーさんは言葉を落とした。


「・・・『百年の孤独』、何だか巌徒さんの様ですな。」


「え?」


確かにもメニューを見てその名前に引っかかるものを感じていたが、そういう事だったのだろうか?
はその理由を聞いてみる事にした。


「抽象的でしたかな?いや・・・巌徒さんと交流を持って数十年・・・。いつも周りに沢山の部下や仲間が居ましたが・・・私が記憶する何時の時代の彼は『孤独』という印象がものすごく強いんですよ。」


過去を見つめているのか、チョーさんは正面に視線をやっていたが、見つめているのはここでは無い様な気がした。
はそんな裁判長の過去への視線を追いながら、巌徒と孤独が結び付く。

今度は裁判長があらぬ視線で悲しそうなの表情に気が付いた。


「あなたが巌徒さんの傍にいてくれて良かった。」


チョーさんは眩しそうにを見ながら微笑んだ。


「彼はもう貴女から離れられないでしょうな、おそらく。」


今度は子供が悪戯を企む様に笑った。
は笑いながらどういう事か問おうとしたら、背後から聞き覚えのある声が聞こえた。


「何か二人で盛り上がっちゃってるけど、ボクはお邪魔かな?」


二人が後ろを振り向くと、ニコニコといつもの読めない表情で巌徒が立っていた。
裁判長はドキリと心臓を鳴らすと、変な誤解をされたら困ると慌てて席を立った。


「じゃあ巌徒さん、後はお願いしますぞ。3人で飲むのはまた今度。」


それだけ言うと、そそくさと店を出ようとする。
一瞬、巌徒が見ていない時に裁判長は口の前に人差し指を立てて、『言わないで』と口が動いた。
笑うに裁判長はウインクした。

はっと気がつき慌てては裁判長を引き止めようとするが、行きつけの店に行くので後は二人で仲良く飲みなさいと言うと店を出て行った。






「・・・で、何話してたの?」


怒ってはいないが、やはり気になるらしくの表情を伺いながら巌徒は聞いた。
はさっきまでの話を話していいのかと迷いながら一言。


「『百年の孤独』・・・について話してたんですけど・・・。」


「ああ、焼酎の事?それとも小説の方?」


「焼酎です。私、そんな名前の焼酎があるなんて知らなくて、チョーさんに聞いたんです。」


「そうなの?結構イケるよ。じゃ、頼もうか。」


そう言って、巌徒はの返事も聞かずにボトルで注文したようだ。
程無くすると店員がボトルとグラスを2つ持ってやって来た。
はそのボトルを見て、何の変哲もないボトルだなあと思いながら巌徒がそのボトルを持ってグラスに注いでいる様子を眺めていた。

ボトルから流れ出る液体は琥珀に輝き、まるでウイスキーを思い出させる。


「さ、ちゃん、改めて乾杯しよう。」


ニッコリと酒を注がれたグラスを渡すと巌徒はカチンと自分のグラスをの持っているグラスに当てた。
巌徒はくっと一口飲むと、満足そうに唸った。は巌徒の様子を見終わると、ほんの少し口に含ませた。


「あ・・・飲みやすいかも・・・。」


「でしょ?でも飲みやすいからって飲み過ぎないようにね。」


巌徒はそう言った後、「酔いつぶれちゃったら何するか分からないからね〜」などと呟きながら、照れ隠しだろうか、ボトルに書かれている文字を手で弄びながら眺めていた。
子供のような仕草でボトルを弄ぶ巌徒を、は嬉しそうに見つめて言った。


「巌徒さんなら、何されてもいいですよー。」


酔いも手伝ってか、ふふふと笑いながらそんな事を呟くと、巌徒はの頭を優しく小突くのだった。


ちゃん、もうだいぶ酔っちゃったみたいだね。」


ほんの少し困った顔をして巌徒は笑っていた。






はこの『百年の孤独』を飲みながら、本当にこのお酒は名前だけでなく、このお酒そのものが巌徒をイメージさせるのだと気が付いた。
凛としてて熟成されたコクのある旨み。しかしながらほのかにフルーティーで甘くて優しい味わいもある。
はなぜか気恥ずかしくなって、グラスに残ったそれを飲み干すのだった。
火照った体に通る冷たい液体が心地よい・・・。

その時、今度は真面目な顔をしてへ視線を向けると、


ちゃん、愛しているよ。」


不意に愛を囁く巌徒。公衆の面前でいきなり何を言い出すのかと驚いて周りを見渡しただったが誰が聞いている訳も無く、そして巌徒はすかさず言うのだった。


「言葉は発した傍から消えていってしまう儚いものだから、ボクはいくら言葉を囁いても足りないんだよ。」


少々キザな台詞だが、巌徒だと様になる。
何だかお酒に酔っているのか、巌徒の言葉に酔っているのか良く分からなくなってきた・・・。

そしてふと、折角囁いてくれた甘い言葉を忘れてしまうのが惜しいと思った。


「何だか私酔ってるから、巌徒さんが言ってくれた言葉を明日も覚えてるか自信ない・・・。」


潤んだ瞳で横に座る巌徒を見つめる。
巌徒は一瞬だけ目を丸くすると、優しく微笑んだ。


「何度でも言ってあげるよ。」


巌徒はそう言うと、ほんのり赤く染まっているの頬に口付けた。