『 不 機 嫌 な 猫 』
「何だ、そうなのかあ・・・。」
携帯電話から聞こえてくる男の声は、実に残念そうだった。
もちろんその想いとは裏腹に軽い口調は巌徒しか居ないのだが。
「すいません、・・・さすがに盆と年末年始は戻らないとウルサイんですよ。」
は申し訳なく困った様子で巌徒に伝えた。
何を話しているのかと言えば、年末年始の予定だった。
二人が付き合う様になって、当然の如く二人で居ることが多くなったのだが、は地元を出て一人暮らし。
盆や正月などは帰省するのがいつもの事だった。
しかし、今回は勝手が違い巌徒は既に二人で居られると思っていたのだ。
の方もできる限り巌徒と居たくて、家族に連絡を取ってみたもののどうやら結果は思う様にいかなかったらしい。
「・・・はい、年明け2日には戻ってきます。ごめんなさい。」
「仕方ないよねえ。いずれボクも挨拶に行かなきゃいけないから親御さんの心象は良くしておかないとね。」
の実家はこの街からはそう遠くは無いのだが、その言葉に少しホッとした。
それに、自分と将来の事を考えてくれていると思うと何だか嬉しい。
「ボクの方は・・・っとちょっとキャッチ入ったから待っててくれるかな?」
ふと、会話の途中で巌徒は電話の相手を切り替えた。
は巌徒が言う通り、携帯電話を持ったまま大人しく待っている。
ほんの少し、手持ち無沙汰だと思い始めた時、巌徒の声が戻ってきた。
「ちゃん、ボクの方も駄目になったみたい。年末年始は局に泊り込みになりそうだよ。」
巌徒は開口一番そう言うと、事のあらましを説明した。
どうやら大きな事件が相次いで、人手が足りない状況になっているらしく局長自ら指揮を執らなければならないらしい。
やはり年の瀬はいつもこうだね、と巌徒は軽口を叩いた。
「・・・じゃあ、年明け帰ってきたら連絡入れますね。」
結局、どう転んでも二人は逢えそうに無いのが分かると結論は一つ。
二人は納得して電話を切るのだった。
12月31日。
は実家で大掃除の手伝いを終え、居間にあるコタツに入ってミカンを食べていた。
やはり実家は落ち着くとぼーっとテレビを見ていたのだが、ニュースが始まり巌徒の言っていた事件が取り上げられていた。
連続強盗殺人事件。
まだ一連の事件だとは確証は無いらしいのだが、手口から犯行まで殆ど同じだと言う。
世間からすれば、ただの年の瀬に良くある事件なのだろうが、似たような事件が数件発生でもすれば折からの人手不足の警察局、ひとたまりも無い。
にとっては巌徒が無理をしているのではないのかと気が気ではなかった。
結局の所、は実家に帰ってきても頭の中は巌徒への心配で一杯だったのだ。
「ちゃんとご飯食べてるのかな・・・。」
「誰の事?」
心配そうに呟くと、ちょうど部屋に入ってきた母が不思議そうに言う。
勿論は彼氏がいる事、ましてやその相手が親よりも年上だなどと言うわけも無くただ慌てるのだった。
「え!?あっ、いや、えーっと・・・!ペット、そう、ペット飼い始めたんだよね。」
「そ、そうなの?猫でも飼ってるの?」
「う、うーん、そう。気まぐれで心配なんだよね。」
心の中で巌徒に謝りつつ、一方ではある意味的を射ているなと感じていた。
「ふーーーーーん。」
最初は娘の大げさすぎるほどの慌てっぷりに母親も驚いてはいたが、何かを覚った顔をすると少しに焼けた顔で唸った。
はその母の様子にしまったと思いつつも、実際には母は優しくこれ以上追及されることは無いとも思っていた。
しかしこの空気ではこれ以上何を話せばよいのか・・・。
その微妙な空気の中、母親は笑顔で呟いた。
「そんなに心配なら、お父さんには上手く言っておくから戻りなさいよ。」
「じゃ、猫ちゃんによろしくね〜。」
再び含みのある笑みで実家を送り出される。
手にはも手伝ったおせち料理の詰まった小さい包みを入れた紙袋。
は笑顔で見送ってくれる母に感謝していた。
母は相変わらず『猫のため』と言っていたが、それが何を指すのかと言う事は分かっているのだろう。
そして娘がその『猫』と年越しを一緒に過ごしたいのだと察してくれたのだ。
父はちょうど忘年会で居なかった事もあり、母は上手く言っておいてくれると言う。
更には母に感謝するのだった。
家を出るとは小走りに駅へと向かいながら腕時計に目をやると、何とか最終電車には間に合いそうだ。
今日中には巌徒の下へと行けると分かり、はほっとした。
一方、巌徒はが実家へと帰ってから殆ど自宅に帰ることもなく対策本部から離れる事は無かった。
元々体力に自身はあったが、今年はと年越しを過ごせるものだと思っていた分、今年はより疲れを感じている。
しかしそれは部下たちも同じ、連日の捜査で家に帰れない者も多いだろう。
巌徒は気合を入れるために顔を洗おうと給湯室へと向かった。
顔を洗いながら、幾分意識もハッキリしてきた。
もう一踏ん張りだと気合を入れる。
だがそのおかげで容疑者もその所在も、特定できる所まで辿り着いたのだった。
逮捕状も間に合い、今日中に逮捕できるだろう。
優秀な部下達に感謝すると共に、安心して息を吐いた。
巌徒は大作本部に戻り容疑者の確保を指示すると、少し仮眠を取ろうと私室へと戻った。
気のせいなのか、年末と言うのも手伝って部屋は暗くひんやりとしていた。
いや、暗くひんやりとしているのは自分の心か?
そんな事を考えつつ、ライトを点けてもそれは変わる事は無かった。
そのまま壁に掛けてある時計に目をやると、あと1時間程で来年になることに気づき、そしての笑顔を思い出して深いため息をつく。
ここで彼女の声が聞きたいと思うのは我侭だろうか?
そう思った瞬間、巌徒の携帯が鳴った。
この着信音は紛れも無く彼女だけに設定されたもの。
巌徒は急いで電話に出た。
「あ、巌徒さん。今大丈夫ですか?」
紛れも無い彼女の声。
携帯電話からは今一番聞きたかった彼女の声が聞こえた。
「うん、大丈夫だけど、どうしたんだい?」
驚きを抑えながら、巌徒は答えた。
「・・・実は、今警察局の前に居るんです。」
「・・・え、何だって?」
連日の徹夜の所為か、今ひとつ状況が分からない巌徒だったが、局長室から下を覗くと女性の姿が。
「・・・帰ってきちゃいました。」
は嬉しそうに答えた。
ようやく事態が飲み込めた巌徒は電話を切るのも忘れ、慌てて玄関まで降りるのだった。
玄関まで行ってロックを解除すると、を中へと促した。
中へ入るとは心配そうに巌徒を見上げながら、白い息を吐きながら話す。
「お仕事、大丈夫・・・・!」
言い終る前に巌徒はを抱きしめるのだった。
あまりの激しさには驚いて逆に心配を募らせる。
「あの、もう、大丈夫なんですか?」
無意識で行動していることに気が付いた巌徒は、きつくに回されていた腕を解くと笑顔で言った。
「うん?・・・ああ、今頃容疑者を確保してる頃だと思うよ。朝には帰れるかな。」
その笑顔はの心配を吹き飛ばすのに十分だった。
いつもの様子の巌徒に安心したは、母から貰った包みを思い出し巌徒に差し出した。
「これ、おせちの差し入れです。私も一緒に作ったんですよ。」
おせちという言葉でふともう1月1日なのだと思い出した。
「・・・あけましておめでとう、ちゃん。今年もよろしくね。」
巌徒はもう一度、そのままを抱きしめると一緒におせちを食べようと提案し、局長室へとを招いたのだった。
二度目の局長室は、深夜と言うこともありひんやりとした空気が漂っていた。
ライトを点けるとあのパイプオルガンが静かに佇んでいる。
はこんな所でここ数日徹夜していたのかと思うと、少し切なくなるのだった。
一方、巌徒は差し入れのおせちがも作ったと聞き、部屋に入るなりいそいそと包みを開けている。
そんな様子を見ては再び笑顔に戻った。
「味は母に確かめてもらったんで大丈夫なんですけど、形はあまり良く見ないでくださいね〜。」
ほんの少し舌を出しながらは笑った。
巌徒はそんな事はお構いなしに、だて巻きを口に運んだ。
「うん。美味しい。ホラ、ちゃんも。」
にっこり笑ってそう言うと、巌徒が持つ箸の先にはだて巻きが。
どうやらに食べさせる気らしい。
「・・・う。」
・・・もちろんものすごく恥ずかしいのだが、実はも夕方急いで家を出たためお腹がすいていた事もあり、ありがたく頂く事にした。
そして、があーと口を空けてその箸の先にあるだて巻きを食べようとした瞬間、バタンと大きな音を立てて局長室のドアが開いた。
「局長!犯人確保したッス!」
あまりにも気まずい瞬間だと言うことは誰にでも分かった。
ただ、巌徒を除いて・・・。
「ノコちゃーん・・・。」
は笑いながらも余りにも抑揚を抑えた声に、巌徒の顔を見ることができなかった。
代わりに声の主の方を向くと、大きな図体に似合わず真っ青な顔をしてうろたえている糸鋸。
本人には悪いが、傍から見ると非常に滑稽に見える。
年明け早々、賑やかになりそうだとは笑うしかなかった。