『 深 く 暗 き 海 に 』








コンコン。


見るからに豪華そうなドアが叩かれた。
先に受付から連絡を受けていたため、その部屋の主は誰と確かめる事無く入るように促す。


ガチャ。


「や。豪さん。」


ドアが開かれると同時に、にこやかに派手なオレンジ色のスーツを着た紳士が顔を覗かせた。
地方警察局長、巌徒海慈であった。

そして『豪さん』と呼ばれた部屋の主は伝説の検事と言われている狩魔豪、その人である。
その男の格好は、巌徒と負けず劣らず豪華ないでたちで、首元にはひらひらと白い布が舞っていた。

先に述べたとおり狩魔は誰が来るかは当然分かっていたので、一瞬巌徒の方へ目線をやるとすぐに目を机の上へ戻し、手を止めていた書類を続けて書き出した。


「ちょ、ちょっと、豪さん久し振りなのに冷たいなー。」


狩魔の座っている机の方に歩を進めながら巌徒は呟いた。
それでも狩魔は手を休めない。
机の前まで来た巌徒は、そんな様子の狩魔をいつもの事と気にする事なく話を始めた。


「資料はもう届いてると思うんだけど、よろしくね。」


それだけ言い部屋を出ようと踵を返そうとすると、無言でペンを走らせていた狩魔は相変わらずこちらに目をやる事無く呟いた。


「・・・わざわざ警察局長殿がこんな所まで出向かれる程の用件とは思わんが。」


その声に巌徒はもう一度向き直ると、狩魔は手を休めペンを置くと、今度は巌徒の方へ顔を向けて続けて言った。


「局長殿なら、自分の息がかかっている宝月主席検事の方が適任では?」


何なら亜内かウチの御剣でもと話す狩魔。
巌徒はその言葉にほんの少し含みがあるように笑みを浮かべた。


「トモエちゃんは今回は適任じゃないんだよねえ。豪さんなら徹底的に被告を叩いてくれるでしょ?・・・控訴できないぐらいしっかりと。」


笑みを浮かべてはいるものの、声はいつもより低く聞こえた。
しかし狩魔は巌徒の言葉を遮る様に呟いた。


「・・・しかも相手の弁護士は愚にも付かない国選弁護士、我輩の相手にもならん。」


実の所その理由が一番なのだろう。
しかし相手はそれで引き下がるような男でもないのを知っている。

狩魔はやれやれと言った感じで、机の脇に置いてあった大き目の茶色い封筒を取り、そこから書類を取り出した。
そしてその場に立ち上がり、書類に添付されている女性の写真を見つつにやりと笑った。


「・・・・・・。そんなにこの女が大切か・・・?」


その書類には『連続通り魔偽装事件』と書かれていた。
が被害に遭ったあの事件。
巌徒はその裁判を狩魔に依頼したのだった。


「・・・まあね。で、やってくれるのかな?」


既にその顔には笑顔がなく、巌徒は更に低い声で言った。
狩魔はそんな巌徒に馴れているらしく、動じる事無く言い放つ。


「よかろう。・・・それに局長殿がこれだけ執心させる女にも興味がある。」


その言葉を放つと同時に、面白いものを見つけた子供の様に笑う狩魔。
机を挟んで対峙する巌徒の表情は変わらなかったが、その場の空気だけは一瞬張り詰めたように感じた。






先に口を開いたのは何故か笑顔に戻っていた巌徒だった。


「・・・豪さん。その右肩、重そうだねえ・・・。」


「!」


今回はほんの少し、巌徒の方が上手だったようだ。
一瞬狩魔はその言葉に焦りの色を見せた。


「・・・局長殿はどこまでご存知なのだろうか?」


笑顔のまま、巌徒はその問いには答える事は無かった。
代わりにいつもの調子で、おどけて言った。


「さっきから『局長』『局長』って、同期なのに悲しい事言わないでよー。」


狩魔も巌徒の性格は良く知っている。
だが、味方でも敵でもない。
しかし、今言った言葉を巌徒自身が追求する事は無いだろう。
自分が巌徒の前に立ち塞がる者でなければ・・・。


「我輩は書類を纏めねばならん。話は付いた、早々に出て行って貰おうか。」


つれない返事だと、巌徒は肩をすくめながら『よろしく』と言い、今度こそ部屋を後にしようと狩魔に背を向けた。
そのままドアまで歩きドアノブに手をかけた時、狩魔は巌徒の背に向けて言った。


「・・・巌徒、同期として言っておく。検事局もそうそうお前の言う通りには動かんぞ。」


巌徒は後ろを向いたまま、目を瞑るとほんの少し息を吐いた。


「・・・憶えとくよ。」


後ろ手に手を振りながら、巌徒は部屋を出て行った。

狩魔は、巌徒を見送りながらやけに肩が痛むのを感じていた。








その後裁判は狩魔検事を筆頭に滞りなく行われ、被告に重い実刑判決が下った。
控訴も認められる事は無く、事件は一応の終結を見たのだ。








・・・しかしそれから暫くした後、狩魔豪が被告人として裁かれる事になるとは、その時は誰も知る由も無かった。