ここは週末のデパート。
辺りは客でごった返している。
巌徒との二人はデパートの一角にある寝具売り場に立っていた。
「巌徒さん・・・ホントに買うんですか・・・?」
二人の目線の先にはベッド。
「うん。もちろんだよ。」
いつもの笑顔でさらりと巌徒は答えた。
何でこんな事になっちゃったんだろうと気が遠くなるのを抑えつつ、は昨日の夜の事を思い出した。
『 ス テ キ な タ ク ラ ミ 』
二人が付き合う様になってから数日、巌徒は仕事帰りにのアパートに寄るのが日課になっていた。
特に約束していたわけでは無いのだが、他愛も無い話をしたり、お茶を飲んだりするのが自然な事になっていたのだ。
しかし、その日やってきた巌徒は少し疲れている気がした。
「来る前に一泳ぎしてきたから、ちょっと休ませてくれるといいなあ。」
そう言って巌徒は奥にあるのベットへ倒れこんでしまった。
気が付くと巌徒の静かな寝息が聞こえる。
はいつもタフな巌徒が疲れている所など見た事が無かったので少し驚いたが、きっと仕事の方でも泳がなければならない事があったのだろうと思い、ゆっくり休ませる事にした。
とりあえず巌徒が起きるまで本でも読んでいようと、1ページ読みかけた時ふとは思い出した。
自分のベットは普通のシングルベットだ。
身長も高く体つきも良い巌徒に合うのだろうか?
そーっと巌徒を起こさないよう音を立てずに隣の部屋を覗くと、案の定窮屈そうに横になっていた。
足はベッドからはみ出していた。
何とか寝る事はできるようだが、今度は別の事が気になりだした。
「あ〜、シワになる〜・・・。」
巌徒はスーツのまま横になっていたので、どうにも気になったのだ。
しかも高そうなスーツなのに。
は巌徒が本格的に眠りに付く前に、ジャケットとネクタイだけでも外させようと思った。
気持ち良さそうに眠っている巌徒に申し訳ないと思いつつ、は声を掛ける。
「巌徒さん・・・お休みになられるのはいいんですけど、ジャケットとネクタイぐらいは外されませんか?」
「うー・・・ん・・・、ああ、そうだね・・・。」
返事が返ってくるものの寝ぼけているのか動きが鈍い。
仕方が無いのでは実力行使に出る事にした。
ぐっと起きようとはしていたが、巌徒の背を両手で支えて体を起こした。
さすがに大柄な巌徒は重かった。
少し休憩してからジャケットのボタンを外すのを手伝って、ようやくまずジャケットを脱ぐ所までたどり着いた。
それをハンガーに掛けて振り向くとすでにネクタイは外され、シャツに辛うじて巻きつけた状態で本人は既に寝転がっていた。
「ああ、もう寝ちゃってる・・・。」
仕方が無いのでネクタイを抜き取ろうと巌徒の首元に手をやろうとしたその瞬間。
「わっ・・・。」
その手首を掴まれ、引寄せられた拍子に巌徒の体に追いかぶさってしまった。
同時にベッドが大きな音で軋む。
が状況を確認できる範囲で考えると、どうやら抱きしめられているらしい。
「ちょっ、巌徒さん、起きてたんですか!?」
返答を待つが、答えは返ってこない。
本当に寝ぼけているようだ。
慌てて起き上がろうとするが、しっかり抱きしめられているようで脱出は不可能のようだった。
「・・・まあ、嬉しいって言えば嬉しいんだけど・・・。」
割れ鍋に綴じ蓋、とはこの事を言うのだろうか。
は諦めてそのまま巌徒の温もりを堪能する事にした。
しかし・・・。
寝ぼけているものの、しばらくすると巌徒の腕はゴソゴソと動き出した。
最初はくすぐったいだけだったが、そのうち自分の服を脱がしそうな勢いなので、さすがのも妙に危険を感じたのか無理やりにでも起こそうと決心した。
はそのままジタバタ動いてみた。
・・・なんだかベッドの軋みが激しくなってきたみたいだ。
しばらく声を掛けながらジタバタ動いていると、さすがに巌徒もようやく覚醒したようだった。
「ん・・・ちゃん。どうしたの?」
何故か腕の中に居るを見つめながら巌徒は答えた。
「あのっ、巌徒さんが腕を引っ張って・・・。」
「ああ・・・ごめん。ボク寝ぼけてたんだね。」
「このまま寝られるなら、私、あっちで本読んでますからゆっくり休んでください。」
「うーん、・・・どうせだからこのまま一緒にできる事をする?」
そう言うと、巌徒はの額に口付けた。
の方は瞬間で湯が沸いたかと思うほどの速さで赤くなると同時に、巌徒の腕から逃れるべく今までに無いぐらい強い力で起き上がり、ベッド脇に立ち上がった。
巌徒はそれを逃がすまいと体を起こそうとした、その瞬間。
バキッ!
ベッドの底の方から不吉な音が。
巌徒は少しだけ体が沈むのを感じた。
嫌な沈黙が流れる。
「あー・・・ちゃん・・・ゴメン。ボク、やっちゃったみたいだねえ。」
これ以上何も起きない様に、ゆっくりと上体を起こしながら巌徒は呟いた。
「・・・。」
は無言でうなだれていた。
部屋の明かりは暗くなっているので表情が良く見えない。
言葉を発しないに気付いた巌徒は立ち上がり、心配そうにの顔を覗き込んだ。
は心配している巌徒に気が付き、顔を上げて力なく笑った。
「大丈夫ですよ。ベッド使わなくても寝れますし。半年前に安く買ったんですけど、やっぱりそれなりですね。」
そう言うものの、の顔色は冴えなく見える。
巌徒はの悲しい顔を見るといつも心が痛む。
彼の心に痛みが走る事など、おそらく他には無いだろう。
「ゴメン、明日、一緒に買いに行こう?ボクがプレゼントするから、さ。」
そんな事で彼女が元気になってくれるか分からないが、巌徒はできる限りの事をしようと考えた。
「そんな・・・悪いです。」
本当は買ったばかりでショックは大きかったのだが、いつも巌徒にしてもらうばかりだと常々思っていたは、素直に首を振る事はできなかった。
「弁償すらさせてくれないのかな?ボクをカッコ悪くさせないでよ。」
さすがにそこまで言われるとも断れないので巌徒の言葉に甘える事にしたのだ。
・・・しかし・・・。
「・・・だからって、何でダブルベットなんですか〜!?」
そして現在、巌徒の隣で赤くなって叫ぶがいた。
「だって、ちゃんと一緒に眠れないじゃない。」
に小首を傾げながら、巌徒はさらり笑顔で言った。
二人は付き合いだして暫く経つが、いまだ泊まって帰るという事はなかったのだ。
決してベッドの所為ではなかったのだが、巌徒は良い機会だと企んでいたのだろう。
「そりゃあ、嬉しいですけど・・・!じゃなくて、部屋に入らないですよ〜。」
手のひらで火照った顔を仰ぎながらは答えた。
勿論デパートには空調というものが付いているのだが。
「大丈夫、ちゃんと測ったから。」
いつの間に!?
おそらく『測った』のではなく『謀った』といった方が近いのかもしれない。
は巌徒の背に少し黒いものが見えたような気がしたのだが、気のせいにする事にした。
「じゃ、購入決定だね。」
それでもは再び抵抗してみる事にした。
「あのっ、でも、こんな高い物頂けません。」
「・・・ちゃんはボクの事キライなんだ・・・。」
巌徒の顔がの鼻先すれすれまで近づいた。
目の前には巌徒の悲しそうな顔が見える。
(ズルイ〜〜〜〜〜。)
もまた、巌徒の悲しい顔を見るのは辛い。
それが巌徒の作戦だと分かっても、だ。
「・・・だ、大好き・・・ですよ。でも、それとこれとは・・・。」
「ちゃんにできる事、できる限りさせてもらえないかな?」
巌徒は優しくの言葉を遮った。
今はもう、優しい笑顔に戻っている。
つられても微笑んだ。
「・・・分かりました。ありがとうございます。」
その言葉に満足した巌徒は、を抱きしめたい衝動に駆られたのだが、店員が異様な雰囲気に気付いたのか丁度二人の下へやってきたのでグッと留まった。
「お買い上げでしょうか?」
女性の店員がにこやか言う。
「うん。このベッド一式、今日中に届けてくれるかな?」
巌徒はジャケットから高そうなサイフを出し、黒いカードを差し出した。
会計やその他手続きを済ました二人は寝具売り場を後にしようとした。
巌徒はいつの間にか上機嫌だった。
「これから週末はちゃんちに泊まろうかな〜?」
もさすがにこれ以上抵抗するのも気が引けたのもあるが、ああやって疲れてる時にあのまま帰したくは無いと感じていた。
それにも巌徒と一緒にいられる時間が増えるのは嬉しい。
しかしふと、疑問が沸いた。
「巌徒さん、寝る時には何着られてるんですか?ウチには巌徒さんに合う服はちょっと無いかも・・・。」
おそらくの家に男物の服があるとしても、大柄な巌徒の体に合うものはそうそう無いだろう。
「え?なくてもいいよ。」
「ええっ!?」
は半歩引いた。
見方が変われば考え方も変わるものだ。
「・・・ダメなの?」
「さすがに・・・私が目のやり場に困ります。」
その答えに巌徒は大声で笑いたくなったが、がむくれてしまうのが目に見えていたので今回はの考えに折れる事にした。
「じゃ、パジャマも買いに行こうよ。」
はその一言にホッとした。
再び二人は寝具売り場へと戻るのだった。
「うーん、こういうのって久し振りに買うなあ。」
少々巌徒も戸惑っているようだ。
確かにの目から見ても何だか売り場からも浮いていた。
だが、久し振りの買い物にワクワクしているようにも見える。
「ちゃん、ボク、どんなのが似合うのかなあ。」
「巌徒さんならやっぱりシルクとか似合いそうですよね。」
そう言いながら、シルクのパジャマを眺めた。
巌徒もどうやら同じ考えらしく、一緒に好みのものが無いか探し始めた。
しかし、シルクのパジャマは種類があったが、どうやら巌徒に合うサイズが見当たらないのでは店員に聞きに行った。
「あのー・・・、もう一つ上のサイズって無いですか?」
先ほどの店員が、ああ、と思い出しショーケースについている引き出しを探し出した。
「先ほどのお連れの方ですよね、おそらくこのサイズでよろしいかと思いますが。」
も確かに巌徒と付き合いだして暫くは経つものの、本当にこのサイズが合うのか自信がなかったので、店員を連れて巌徒の元へ戻ることにした。
「あれ・・・?巌徒さんどこ行っちゃったんだろう。」
先程までそこにいたはずの巌徒がいなくなっていた。
「あ、あそこにいらっしゃいますよ。」
店員がさした方向に、オレンジ色の塊が見えた。
確かそこは女性用のパジャマがあったはずなんだけど・・・。
巌徒は二人に気が付いてないようだったので、そこに店員と向かうと巌徒の手にはパステルピンクのシルクのパジャマ。
「巌徒さん?それ、どうしたんですか?」
は不思議そうに尋ねた。
「これ、ちゃんの。どうせ買うならお揃いがいいなあ。」
店員さんの前で何を言い出すのかとは慌てて答えた。
「いやっ、私はちゃんとありますからっ。」
「えー、じゃあボクも着なくてもいいや。」
「・・・・・・分かりました。」
また丸め込まれてしまった・・・。
は店員がどんな顔をしてこのやりとりを聞いているのだろうと横目でちらりと様子を伺うと、店員は微笑ましそうに聞いている様で安心した。
(一応恋人同士に見えるのかなあ?)
は何だか少しだけ嬉しく感じた。
その後二人はサイズを合わせ、無事購入する事ができた。
最後に相変わらずにこやかに店員はお辞儀をしながら、
「お買い上げ、誠にありがとうございます。優しいお父様ですね。」
に向かってニッコリ。
・・・やはり勘違いされていたようだった。
(うー、やっぱりそう見えちゃうのかなあ。)
一気に奈落の底へ突き落とされた気分。
「あ、間違えないでね。ボク達、恋人同士だから。ね。」
あまり気にして無い様子で巌徒はの肩を抱きながら言った。
初めて店員は呆然と二人を見ていたが、はその一言でどうでも良くなったのだ。
ちょっとだけ、は優越感に浸っていた。
アパートへと戻ると、丁度業者がベッドを搬入しようとしていた。
例のダブルベッドは本当に部屋にピッタリ入った。
巌徒はというと相変わらず上機嫌で楽しそうにしている。
「これで何でもできるね、ちゃん。」
「巌徒さん・・・わざと、じゃあないですよね?」
「嫌だなあ、そんな事あるわけ無いじゃない。ボクを疑うの?」
あの店員のように、ニッコリ。
もつられて、ニッコリ。
他にもまだ企んでいそうな巌徒だったが、全て自分の事を考えてくれているのだ、と思うと何でも許してしまうであった。