『 接 触 』






「うん、ホントゴメンね、チョーさん。」


「ホッホッホ、構いませんぞ。その代わり・・・。」


「分かってるって、ボクの奢りね。僕が行くまで好きなもの食べててよ。」


その悔しそうな言葉とは裏腹に、男は嬉しそうに電話を切った。





「こういう時に限って、沢山書類処理があったりするんだよねエ。」


ひょっとしたらテニスコートにでもなりそうな広い部屋で、男の深く低い声は響いた。

その部屋は格調高いデスクや調度品に合わせる様に、大きく豪華なパイプオルガンまで備え付けてあった。

しかしそれ以上に、男の風貌もその部屋に負けてはいない。

オレンジのスーツに黒いシャツ、そこに警察の記章をあしらった赤い十字のネクタイ。
手には黒い皮手袋、顔にはファンキーな色のサングラス。
髪は殆ど白髪なのだが、髭と共にきちんとセットされている。

一見異様な風貌のようだが、男は昔から好んでいる水泳のおかげか、一般年齢の体つきには程遠い体つきだった。
そのお陰でその風貌に、より一層箔を付けているのだ。



『地方警察局長』それが男の肩書。



その部屋には『局長室』と掲げられていた。



「う〜ん、この報告書読んだら、後は明日にしちゃおっかなあ。今日はせっかく久し振りにチョーさんと飲むんだし。」

男はそう呟いて椅子にもたれた。

チョーさん、と言うのは男の古くからの友人だ。
彼も忙しい中、男に予定を合わせているらしかった。

男は最後の報告書に目を通し始める。

「連続通り魔・・・ああ、アレ、解決したんだ。ふうん・・・最後の被害者は怪我、させられちゃったんだね。」

連続通り魔事件は最近男の街を騒がせていた事件だった。
報告書には犯人の写真と被害者4人の写真。
怪我を負った被害者は、腕をナイフで切られ何針か縫ったらしい。

ふと男はその報告書に引っかかるものを感じつつ、最後の被害者の写真を眺めて呟いた。


「可哀想に、女性をキズ物にしちゃ駄目だよねえ。」


報告書にサインとハンコを押すと、彼はその部屋を後にした。






「結構外は寒いなあ。」


男の職場である、警察局を出ると秋を感じさせる冷たい風が吹いていた。
外はもう日が短く周りは暗くなり、道行く人は何だか忙しそうに歩いている。

男は遅れを取り戻すべく、急ぎ足で繁華街へと足を進めた。

今日は週末と言う事もあり、沢山の人々が繁華街の方へ向かっているのだが、
その中で男はその人ごみに違和感を感じた。



一人の不審な青年だった。



人ごみに紛れてしまえば普通の人なら何も感じないだろうが、男はそういう感は特に鋭かった。
だから地方警察局ではトップである『局長』まで登りつめた訳なのだが。

不審な青年は誰かを観察しているらしかった。

男はゆっくり歩きながら、不審な青年が誰を観察しているのか、青年に気付かれないように視線を追う。


(ボクは急いでいるのに、何でこんな事してるんだろうねえ。)


そう心の中で悪態をつくが、男は今でこそ最前線を退いてはいるが元々優秀な捜査官だった。
やはりその時の想いは今も消えないのだろう。


「それに、うまく行けば美談になるかもしれないしね。」


男は少し自虐的に呟く。

視線を追うとショーウィンドーを眺めている女性の姿があった。


(・・・ただのストーカー?でもあの目はヤバいよねえ。)


不審な青年は落ち着きがなく、目は血走っていた。
男からすれば、このまま放って置くといずれは犯罪を犯しそうな雰囲気だ。


(しょうがないなあ、今日の所は女性を保護しておいた方がいいかな?)


とりあえずこの場を凌いでおけば、不審な青年は諦めるだろうし対策も立てられるだろうと、男はその女性に声を掛ける事にした。

その瞬間、先ほどより増えた人ごみのため、通行人が女性にぶつかっていた。


「わ・・・」


男は倒れそうになる女性の肩を慌てて抱きとめた。


「あっ、す・・・すいません。つい可愛くてボーっとしちゃってて。」


真っ赤な顔をして女性は謝った。
男は何の事かと思ったが、ショーウィンドーには可愛らしいワンピースと小物が合わせて飾られてあった。


「こんな時間にボーっとしてたら危ないなあ、気を付けないとね。」


男がそう言って周りを見渡すと、不審な男も、ぶつかった人物もそこの場から消えていた。
ふと視線を戻すと、彼女は今度は男を少しおびえた目で見ていた。

確かに自分の肩書を知らない者から見れば、堅気の人で無いように見えるだろう。
それなりに知名度はあるのだろうが、彼女は分からないようだった。


「あっ、ボク、ココの警察局の局長で、巌徒海慈って言うんだケド、怪しい者じゃないから。」


慌てて警察手帳を開いて身分を明かした。


「ガント、カイジ・・・さんですか?そういえば新聞とかで見かけた事があります。」


女性は少し安心したようだった。
そんな彼女を見て、巌徒はこの女性に見覚えがあるような感覚になった。


「あの・・・ご存知か分かりませんが、ちょっとした事件で警察局の方にお世話になりました。」


お辞儀をされた瞬間、巌徒は思い出した。
彼女の写真、そう、あの連続通り魔で最後の被害者。


「ウン、知ってるよ、さんだよね。傷は大丈夫?」


巌徒は記憶力も確かだった。
いつもの笑顔で答えた。
は少し驚いたようだが、ようやくここで笑顔を見せた。


「・・・。」


彼女の笑顔は巌徒の心にストレートに響いた。
警察局で上に登る度に、擦れていった心に潤いを持たせるような、そんな笑顔。


「もう犯人も捕まったし、今は安心です。傷もそんなに目立たないし。」


は傷を負った腕をそっとさすりながら答えた。



・・・では、あのストーカーは何だ?
巌徒の心の中では、彼女の事件だけ異質なものを感じていた。



それは報告書を見たときにも感じた事だった。

犯行場所や手口は同じだが、どうにも彼女にだけ怨恨を感じた。
・・・彼女の事件は例の事件とは違うのかもしれない。

巌徒はそれでは失礼します、と言いかけた彼女の腕を掴み、引き止めた。


「これから、古い友人と飲むんだけど、キミも一緒に来ないかなあ?」


満面の笑みで彼女を誘った。
保護する意味もあるのだが・・・本当は彼女の笑顔をもっと見たかったのかもしれない。

はその誘いには喜んでいるようだったが、迷っているようだ。


(そりゃあ、そうだよねえ。ボクの方が不審者だ。)


巌徒はどう理由をつけようか迷っていると、後ろから自分を呼ぶ声が。


「局長!お疲れ様ッス!!こんな街中で珍しいッスねえ。」


巌徒と同じぐらいガタイは良いが、深緑のヨレヨレのコートを着ているあたり、巌徒とは正反対の部類の人間に見える。


「ああノコちゃん、今から飲みに行くんだけど、キミもどう?」


ノコちゃんと呼ばれた男は笑顔から一転、暗い顔つきになった。


「これから徹夜で書類整理ッスよ。残念ッス。あれ?そちらの方は?」


男は巌徒を避けるように覗き込んだ。
その瞬間、


「糸鋸さん!」


彼女が口を開いた。


「この度はお世話になりました。今も局長さんにぶつかって転びそうなのを助けていただいたんですけどね。」


少し照れながら糸鋸に笑顔を向けた。
巌徒は少し気になったが、この糸鋸が彼女の事件の担当捜査官だったのを思い出した。


「それはいいッスが、局長に助けてもらったッスか?良かったッスね。」


誰にでも人懐っこい糸鋸は、同僚にも被害者にもウケが良い。
きっと、例の事件では彼女の力になったのだろう。
それは大変良い事なのだが、巌徒は少し面白くなかった。
笑顔を維持しつつ、


「それで、彼女も飲みに誘ってるんだケド、どうにも不審がられちゃってねエ。」


さん!局長と飲みに行けるなんて光栄ッスよ!羨ましいッス、私の代わりに飲んで騒いで気分転換してくるッス!」


糸鋸はにニイッと白い歯を見せて笑った。
事件から日がまだ浅く、神経をすり減らせた彼女への彼なりの気遣いだろう。

糸鋸の後押しもあってか、彼女は再び笑顔で「じゃあ、ご一緒させて頂きますね。」と巌徒に向かってお辞儀をした。